友達の作り方って未だにわからないです。
今更いい大人なので友達欲しい!なんて子どもみたいなことは思いませんが、例えば友達を作るとなったら何をどうすれば友達になれるのか今でも不思議で謎です。
小学生のある時期から人見知りになった私は、そうなる以前まで転校生に一番に話し掛けて仲良くなるような性格から、机に伏して誰ともしゃべらない友達がいない学校生活を度々送っていました。度々というのはクラス替えですね。
自分から話し掛ける勇気がなくて誰かが話しかけてくれるまで待つを繰り返していました。
そんな都合の良いことは起こらず、私に暗いイメージが付いた頃になるとやっとクラスに馴染んで、話せる友達が出来始めるのです。
それがだいたい夏休み前くらいでしょうか。
話し掛けてはくれないけれど、話さなければいけない状況に追い込まれて私が喋り出すと相手も休み時間に話し掛けてくれるようになるみたいです。
けどそんなことも高校生までで大学では友達は出来ませんでした。
高校の時に友達になった子にあることを言われました。
その子は誰にでも話し掛けて友達になるような明るくて良い人を絵に描いたような人でした。
彼女に言われたのは「同じ空間に居て一人ぼっちの子が居たら絶対話し掛けている」でした。
多分間違いなく、友達になる前に彼女と私は同じ空間にいて、私が一人だった時があったはずです。
結果的に友達にはなれましたが、私と彼女が友達になったのは彼女が言っていた「一人ぼっちの子がいたら話し掛ける」こととは違うことでの出会いがきっかけでした。
私は、私が一人だった時に彼女に話し掛けて欲しかったと言いたいわけではありません。
私は気付いたことがあるんです。
彼女に話し掛けられて友達になった人は多いと思います。
けど私は彼女に話し掛けてもらえなかった、そこで、待っていると友達が出来る子と待っていても友達が出来ない子がいるということがはっきりとわかりました。
まぁどっちかしかないんでしょうけど、これってどういう差なんだろう、と考えました。
私はある時期から人見知りになり、親からは自分から話し掛けなさいと散々言われました。
けど私は、自分から話し掛けて友達が出来た経験と話し掛けられることを待っていても友達が出来ない経験をして、待っていても誰かが助けてくれる人、待っていても誰も助けてくれない人がいるんだとわかりました。
どっちもあることなんてないんです多分。
私は待っていても誰も話し掛けてくれないことばかりでした。
雰囲気が悪かったのかもしれません。
話し掛けるなオーラでも出ていたのでしょうか。
むしろ話し掛けて欲しいオーラを出していたつもりでした。
掃除の片付けに大きな机や椅子を友達がいないので一人で運びました。
自分から手伝ってと言えば良かったのかもしれませんが、私が一人で運んでる側で喋ってる人達に唯一優越感に浸れるので相手から手伝ってくれない限り言いません。
もう一人高校の時友達になった子は、私と似たような子でした。
けどその子はいつも誰かと一緒でした。
羨ましく思いましたが、その子は私と違って「自分から話し掛けなくても誰かが話し掛けてくれる」ような子でした。
大学は多分珍しいと思いますがクラスがありました。
それでも友達が出来ず結構苦痛に大学生活を送っていました。
で、現在もなんやかんやで友達はいません。
少ないとかではなくて本当にゼロです。
自分から話し掛けなくては友達は出来ない、は親から言われたことですが、話し掛ける人がいるということは逆もあるということ。
私は、自分から話し掛けなくても友達が出来る人間になりたかったです。
そうすれば友達の作り方で悩むことはないのにと思います